“この子”は、最初から“この子”だった──それは、私も。

息子が1歳の頃のこと。
あの頃、私は初めての育児に戸惑いながらも、目の前の小さな命に夢中でした。
歩き始めるのが早かった彼は、とにかく活発で、
とたとた歩いては、あっという間にどこかへ行ってしまう子でした。
入ってほしくない場所にはゲートを設置して、
ここまでね、と伝えようとしても、まるで冒険家のように突破していく。
新しい障害を置いても、時間をかけてどうにかして乗り越えていく。
その姿は、まるでゲームを攻略していくような真剣さでした。
言葉がまだ話せなかった息子に、私たち夫婦は「ベビーサイン」を教えていました。
それを使って、彼は一生懸命、伝えようとしてきました。
「こうやったらつたわる?」
「だめか、じゃあこうしてみる」
「まだちがう?じゃあこっちならどう?」
まるで小さな研究者のように、自分なりにやり方を変えながら、何かを”伝える”ことをあきらめない姿がそこにありました。
身体全部を使って、感情も全部ぶつけて、彼はいつも”妥協せずに向き合って”いました。
ある日、公園で。
息子が遊ぶのを少し離れたところから見ていました。
彼は静かに周りを見渡して、何かをじっと考えている様子。
その瞬間、まだ1歳の彼の目の奥に、確かに「はっきりとした意思」があるのを感じました。
そして、わかってしまったんです。
あぁ。
この子は、もう”ひとりの人”なんだな、と。
これは、わたしが教えたんじゃない。
これは、彼なんだ。
この”らしさ”は、もう最初からあったんだ──と。
それ以来、
「子どもには”はじめから何か”がある」──そんな感覚が、私の中に根づきました。
生まれたときから、すでにそれぞれの”らしさ”を持っている。
好きなこと、苦手なこと、強さ、頑固さ、柔らかさ。
それは「育てた」だけではなく、「その子のもの」として最初から”そこにある”。
そんな子どもたちを育てる私たち大人も、本当は同じはずです。
私たちも、もともと”自分らしさ”を持って生まれてきた。
でも、大人になるにつれて、比べたり、正解を探したり、
「どう見られているか」に自分を合わせているうちに、
その”らしさ”が見えづらくなってしまったのかもしれません。
ブログの名前を「ここあるブログ」と名づけたのは、そんな想いからです。
自分の価値は、もうすでに“ここにある”。
自分らしさは、見つけるものではなく、思い出すもの。
子どもたちと過ごす日々のなかで、それを少しずつ感じなおしていく。
そんな記録を、これからこの場所に綴っていきたいと思っています。
読んでくださって、ありがとうございました。